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大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)390号 判決 1965年8月12日

控訴人 井上正夫

被控訴人 清水新太郎

主文

原判決中控訴人に関する部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠<省略>の提出援用認否は、控訴代理人において、「仮に本件抹消登記が被控訴人の意思に基かないものであるとしても、抵当権設定登記そのものが無効である以上、被控訴人にはその回復登記を求める権利がない。けだし若しその回復を認めるとすれば、法律上存在を許されない無効の登記を法律が強制する結果を生ずるからである。」と陳述し、……たほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、被控訴人主張の請求原因事実中、原判決添付目録記載(1) ないし(6) の不動産が控訴人の所有であること、右物件につき被控訴人主張のとおりの抵当権設定登記及びその抹消登記がなされていることは、当事者間に争がない。

二、先ず本件抵当権設定登記及びその抹消登記がなされるに至つた事実関係について判断する。

(一)  成立に争のない乙第一号証の二、同第三号証、証人井村末広の証言により井村末広作成部分につき成立を認めうる甲第二号証、証人田辺仁一(第一、二回)、同井村末広(但しその一部)の各証言、控訴人、被控訴人(但しその一部)各本人訊問の結果、筆跡鑑定の結果を綜合すると、控訴人は昭和二八年頃から訴外井村末広と知合い、懇意に交際していたが、昭和三〇年七月二〇日すぎ頃井村の懇請により、同人が他から控訴人の名で借金するため一時使用することを許してその実印を同人に貸与したこと、井村は同月二九日自己の名を以て被控訴人から金一五万円を弁済期同年一一月三〇日の約定で借受けたのであるが、その際控訴人の実印を使用して、控訴人に無断で、右債務の担保として控訴人所有の本件物件につき抵当権を設定する旨の契約書(甲第二号証)及び抵当権設定登記用の代理委任状(乙第一号証の一)を作成し、被控訴人はこれに基いて同月三〇日本件抵当権設定登記をなしたことが認められる。証人井村末広、被控訴本人の各供述中、右認定に反する部分は措信し得ず、他に右認定を覆えすに足る証拠もない。

(二)  次に、代理名義の部分を除き成立に争のない甲第一号証の一、三、乙第三号証、証人田辺仁一(第一、二回)の証言、控訴人、被控訴人各本人訊問の結果を綜合すると、控訴人は昭和三一年一月頃本件物件に抵当権設定登記がなされていることを知り、井村に対し再三右登記を抹消する様問責していたところ、同年二月頃井村が、被控訴人から右登記抹消の同意を得て判をもらつて来たと称して、被控訴人作成名義の抹消登記用の代理委任状(甲第一号証の二)を控訴人に手交したので、控訴人は右委任状が真正なものと信じ、これに基いて同年三月一日本件抵当権設定登記の抹消登記手続(被控訴人印鑑の印鑑証明書を添付した形跡がない)をなしたこと、ところが被控訴人は控訴人又は井村に対し、右抹消について承諾を与えたことがなく、前記委任状(甲第一号証の二)も被控訴人の自署ではなく名下の印影も被控訴人の印鑑によるものではなく、被控訴人が関知しない間に何人かが偽造したものであることが認められ、右認定に反する証人井村末広の証言は措信することが出来ず、他に右認定を左右すべき証拠もない。

三、前記二の(二)認定の事実によれば、本件抹消登記は被控訴人の意思に基くものではなく、何人かが作成した偽造文書に基いてなされたものであることが明らかであるところ、控訴人は、右抹消登記が被控訴人の意思に基かないものであつても、元来抵当権設定契約が存在せず、抵当権設定登記そのものが無効である以上、右抹消登記は実体関係に符合し被控訴人にはその回復登記を求める権利がない旨主張するので判断する。

元来不動産登記は、物権変動の権利関係を公示するための方法であり、それ故に真実の権利関係を登記簿上忠実に反映すべきものであり、登記それ自体は権利の実体ではなく外形に過ぎないのであるから、登記それ自身の適式のための要件に瑕疵(例えば登記義務者の登記意思の欠缺、登記手続上の文書の偽造等)があつたとしても、既になされた登記が実質的権利関係に符合する以上、その登記上の瑕疵の存在のみを理由にして直ちに、全ての場合にその登記の効力を否定し、その是正ないし再施を要求することは、必ずしも当事者の権利保護に資する所以ではない。

ただ登記が結果的にみて実体関係に符合する場合でも、当該登記について、(イ)登記義務者において元来当該登記を法律上拒み得る実質的利益を有したとき(例えば登記の履践につき同時履行の抗弁権を有するとき。かゝる場合すでになされた登記が実体関係に符合するとの理由のみで当該登記を無制限に是認すると、登記義務者の有する正当な抗弁権を不当に剥奪する結果をもたらす。)、(ロ)登記権利者において登記手続の瑕疵につき背信的悪意を有するとき(例えば登記権利者が故らに登記用の偽造文書を作成し、又は偽造文書たることを知悉して登記したとき。かゝる場合は登記実行上の信義則に鑑み、かような背信的悪意者の行為を無条件に容認保護すべきではない。)、(ハ)違法な登記の是正ないし再施について、第三者との関係で法律上利害関係を生ずるとき、以上の如き場合は、既になされた登記が、たまたま実体関係に符合するとの理由によつて、その存在を許すわけにはゆかない。

そこで本件についてみると、前記二の(一)認定の事実によれば、井村は本件抵当権設定につき控訴人から正当な代理権の授与を受けることなく被控訴人との間に擅に抵当権設定契約を締結したものであり、右設定契約は無権代理行為として無効であり、従つて本件抵当権は当初から存在しなかつたのであるから、その抹消登記の結果は正しく実体関係に符合するものと言わねばならない。そして、(イ)被控訴人が右抹消登記の実行を法律上拒み得る実質的利益(即ち登記原因なき基本登記の形式的存在を要求する利益)の存在は何等認めることが出来ず、(ロ)また前認定のとおり控訴人は本件抹消登記の委任状(甲第一号証の二)を真正のものと信じて登記したのであるから背信的悪意者にも該当せず、(ハ)本件登記の抹消につき利害関係を有する第三者も介在せず、従つて被控訴人は本件抹消登記の無効を主張する正当な利益を有しないものである。

四、以上の理由により、本件抵当権設定登記抹消登記の回復登記を求める被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきであり、よつて右請求を認容した原判決を取消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九六条を適用の上、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡垣久晃 宮川種一郎 奥村正策)

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